馥郁の書

最終の目標は自分独自の書を書くこと、つまり創作にあります。
いろいろと苦労して臨書するのも、ひとつには創作の手がかりを得る為なのです。
どれだけ臨書したら創作へ入れるというような決まりはありません。臨書と創作を
取り混ぜ、同時に進行させていくのが堅実な方法といえるでしょう。
私たちは創作をする力をつける学び方が必要です。
臨書だけをしていても、創作がうまくいくものではありません。
臨書と創作を並行して学ぶようにしたいものです。
創作へのプロセスは入門された方に指導いたしますが
簡単に要約しますと私の場合は古碑・古法帖から集字します。
集字して余ったものは手作りの字書として作成していきます
極論ですが字書は単なる文字の正誤調べに過ぎません。
この事の方法はどこかに古典の馥を残したい願いからです。
また書の美しさは建築に似た構成美と、音楽に似た時間的な流動美があると
いわれています。すぐれた書が生き生きしているのは、筆の運びの中に、
筆者の心の躍動が表現されているからです。
毛筆は文字を書きあらわすとともに筆者の心の動きを、速度や抑揚の変化
として、墨と紙の力を借りて描き出します。私たちは手本(古典)を見て習うときでも
自分で書くときでも形を整えることに熱中して、筆の速度やリズムを忘れやすい
ものです。筆がどんな経路で、どのような調子で運ばれて行ったかということです。
いわゆる、その筆意が重要となります。筆者は書風を形成していきます。
常に素晴らしい古典から学び取る習慣を身につける事が大切でしょう。
苦を楽しみに変えてみては如何でしょうか。

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書法研究・聿修會(いつしゅうかい)

増田 艸亭

◇よい馥の漂う作品を書くために◇

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