書道資料クイズ |
◇ 書道関連/出題 ◇
出題者/増田艸亭 |
= 問 = 〔 1 〕踊り字(おどりじ)とは? 〔 2 〕男手(おとこで)とは? 〔 3 〕女手(おんなで)とは? 〔 4 〕聿(いつ)の意味は? 〔 5 〕毫(ご う)の意味は? 〔 6 〕空海は、いつの時代の人? 〔 7 〕自運(じうん)とは? 〔 8 〕二王は、誰と誰のこと? 〔 9 〕軟筆(なんぴつ)の別称は約いくつ? 〔10〕入木道(じゅぼくどう)とは? 〔11〕横画の切れた 『 十十 』(草冠)の 筆順(二通りある)は? 〔12〕書史(しょし)とは? 〔13〕布置(ふち)とは? 〔14〕筆(ふで)の転じた名称順序は? 〔15〕臨池(りんち)とは? 〔16〕小さく書いて大きくみせる字配りの 表現方法は? 〔17〕墨の種類を大別すると何種類? 〔18〕印面に印泥をつける、よい 方法は? 〔19〕般若心経は何文字? 〔20〕書聖といわれた人は? 〔21〕日本最古の肉筆である聖徳太子 (574〜621)が書写したものは? 〔22〕漢字五体の中で最も新しい書体は? 〔23〕楷書(漢字)の字形を安定 させる点画は? 〔24〕宛先人が雅号をもっている場合の 表書きのよい書き方は? 〔25〕中国の文字が出現した時代は? 〔26〕書作品の効果を引き立たせる 最大の要素は? 〔27〕寺子屋の語源は何処から? 〔28〕手習い(てならい)とは何の習い事? 〔29〕尺牘(せきとく)とは? 〔30〕説文解字の著した時代は? |
= 正しいのは = @上手い字 A下手な字 B符号 @カタカナ A漢字 B平仮名 @平仮名 Aカタカナ B漢字 @硯 A筆 B墨 C紙 @紙 A墨 B筆 C硯 @奈良時代 A平安時代 B鎌倉時代 @創作 A運筆 B臨書 C意連 @王羲之と王遠 A王羲之と王微之 B王羲之と王献之 @一つ A二つ B三つ C四つ @書道 A茶道 B華道 C香道 @よこ、よこ、たて、たて Aたて、よこ、たて、よこ Bよこ、たて、よこ、たて Cたて、たて、よこ、よこ @書論 A書の歴史 B書家 @布に文字を書く A筆を架けるもの B文字の配置 @ふで Aふみで Bふむで @池の名 A池の水 B書を学ぶ C硯の水 @上部と下部が均等 A上部を広く下部を引締める B上部を狭く下部を広め @2種類 A3種類 B4種類 C5種類 D6種類 @印泥を下に置き印の方から押してつける。 A印泥を逆さまに持ち印泥の方から押してつける。 B何れのつけ方(@、A以外)でもない。 @256字 A266字 B276字 C286字 @王羲之 A王献之 B王詢 C王徽之 @法隆寺釈迦像光背銘 A宇治橋断碑 B金剛場陀羅尼経 C法華義疏 @篆書 A隷書 B楷書 C行書 D草書 @横画 A縦画 B左払い(斜画) C右払い(斜画) D曲直(曲線の画) @差出名は氏・雅号で書き、宛先名は本名で書く。 A差出名は本名で書き、宛先名も本名で書く。 B差出名は本名で書き、宛先名は氏・雅号で書く。 C差出名は氏・雅号で書き、宛先名も氏・雅号で書く。 @秦 A西周 B東周 C殷(商) D前漢 E後漢 @筆使い A墨色 B字形 C紙類 D用具 @神社 A寺院 B専業の教育所 @茶道 A華道 B書道 C香道 @漢文で書かれた手紙 Aかな文で書かれた手紙 @前漢 A後漢 B三国(蜀・呉・魏) C晋 D南北朝 |
<答え>と<解説>は下段にあります。
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< 答え > と < 解説 > 〔 1 〕B、同じ字の繰り返しを示す符号で、畳字、重ね字、送り字、ゆすり字などともいう。 〔 2 〕A、男子の使用する文字、漢字のことをいう。真名(まな)ともいう。 〔 3 〕@、平仮名のことをいう。また女の人の書いたものを女手ともいう。 〔 4 〕A、筆の意。「聿」は手が器用なことを表し、字を書くふでである。 一説に竹のふでがまっすぐ 立っている形ともいう。 〔 5 〕B、筆の意。「毫」は長くとがっている細い毛。筆のさき。筆。 〔 6 〕A、平安時代の名僧、能書家、三筆の一人。(774年〜835年) 〔 7 〕@、創作。「自運」の意味は字の如しで<手ずから進める>すなわち自ら創り出すことをいう。 〔 8 〕B、王羲之を大王、羲之の第七子である王献之を小王といい、この二人を合わせて二王という。 〔 9 〕B、別称は「ソフトペン」ともいう。いわゆる大まかにフェルトペン、サインペン、筆ペンなどをさす。 〔10〕@、書道のこと。東晋の王羲之(321〜379頃)が木に書いた書が、筆力盛んで、木に深くしみ とおって、いくら削っても消えなかったという故事からこの名がある。 〔11〕A、B、古来から伝わる一般的な筆順。 〔12〕@、宋の「米フツ」の著した書論。西漢から五代に至るまでの前人の書跡を評論したもの。 〔13〕B、文字の配置、配りならべること、字くばり。紙面に対して、文字のくばり方。按排。具合。 〔14〕A→B→@、筆は書手(ふみて)の略。日本では古くは“ふみで”と呼び、転じて“ふむで”といい 略して“ふで”となった。毛筆はB.C.200年代、秦の蒙恬(もうてん)が初めて作ったと いわれている。今日まで長い歴史の中で常に改良されてきました。 〔15〕B、書を学ぶことをいう。後漢の張芝(紀元190年頃)、字は伯英、敦煌酒泉の人。天性書を 好み、書を学ぶに硯水の不自由なのを嫌い、池のそばに亭を造り、終日書を学んだので 池水ことごとく黒くなり、遂に干し上がったという熱心家で、草聖とまでいわれるように なった。この故事から起こった言葉である。 〔16〕A、上部の余白を充分に広く取り、下部は徐々に引き締めながら書きます。この事は優れた 古典が法則的に教えており、書法として大事なことです。上部・下部に限って出題しまし たが、そのほか、偏と旁の比率や横画の角度、縦画の位置・長短など複雑に絡み合って 小さく書いて大きくみえる要素があります。 書と活字は必然的に異なる。 〔17〕C、松烟墨(しょうえんぼく)、油烟墨(ゆえんぼく)、洋烟墨(ようえんぼく)、朱墨(しゅぼく) 彩墨(さいぼく)、の5種類。 〔18〕A、特に正解はありませんが、印泥からつける方法は、印面に印泥のつき具合が目で直接 確認出来る便利さと目詰まりしにくい利点があります。しいて言えばAを答とします。 〔19〕B、般若心経は大般若経600巻の真髄を276字にまとめた経典で古くから多くの人々に 愛誦され、書写されてきた。 〔20〕@、王羲之(321〜379)、字は逸少。右軍将軍の地位についたことから王右軍とも 称される。書は鐘ヨウの書を学んだ衛夫人に教わったといわれ、隋・唐以降、書聖と 仰がれるようになった。 〔21〕C、法華義疏(ほっけぎしょ)、法隆寺釈迦像光背銘(ほうりゅうじしゃかぞうこうはいめい)は 金文、宇治橋断碑(うじばしだんぴ)は刻石、7世紀の終わりごろに書写された金剛場陀 羅尼経(こんごうじょうだらにきょう)は唐の欧陽詢の書風である。当時、唐と交流が 盛んで、唐の文化が輸入され、書風が伝えられて流行した。 〔22〕C、書体の発生順は<篆書→隷書→草書→楷書→行書>行書は五体の中で最も新しく 後漢の時代で、ともに隷書から生まれた草書・楷書の中間の書体として作られたと いわれている。 〔23〕A、漢字は、それぞれの点画の組み合わせで形成されています。五種類の点画の中では 比較的に文字を安定させる重要な画です。縦画をどの位置に書くかによって、その人 の書歴がわかります。 ※楷書の点画は『康煕字典』(こうきじてん)によれば47,681字あるといわれているが その構造を分析すると 26の本になる画があり、これを二十六字母と称する(細田謙蔵 著『書道原義』) 〔24〕B、特に書道関係者の場合、表書きのやりとりは=差出名は本名で書き、宛先名は氏・雅 号で書くのが礼儀となります。 余談ですが・・・恩師や先生(師弟関係))に対して、敬称 を「様」と書くのは失礼にあたります。「様」を用いる時は一般的な場合に限ります。 〔25〕C、殷(商)は最古の王朝で宗教色の濃い政治形態をとり、政治から農耕・天候まで、すべて 天の神の意志をうかがった。亀の甲や獣の骨に文字を刻し、火であぶり、そのひび割れ によって吉凶などを占い、ときには、さらにその結果を刻した。その文字が甲骨文である。 甲骨文は殷代後期の紀元前1300年頃から使われ鋭い刀で刻すようになった。甲骨文 以後、時代に応じて文字の改良がなされ今日に至っている。 〔26〕@、書作品の効果は、色々の要素が不可欠です。何れの事柄が欠けても効果は生まれま せんが、しかし 「筆使い」 は最終的に最も重要な条件のひとつです。作品は筆使いの 良し悪しで大きく左右されます。極論で言えば筆使いが良ければ、自然な字形や墨色 の変化が望めます。 勿論、墨のすり方・古典から字形や筆使いなどをしっかりと学ぶ 姿勢もなければ、よい書は生まれません。従ってあらゆるものを関連付けて系統的に そして総合的に研究する事が必要です。 〔27〕A、鎌倉・室町時代になると学問は僧侶の手に移り朝臣も武家も子弟の学問は6、7歳に なると寺に上がらせて、ここで学問を受けるようになった。寺院が童児の学問所となり 寺院において学問する童児を寺子と呼び、この寺院を寺子屋といった。 江戸時代に なると往時のように 学問する 場所が寺院のみでなく、専業の教育所ができて、ここで 士人も町人も学問することとなった。 ここでも教育所を寺子屋と呼び、寺子屋教育の 中心は習字であり 習字とともにしつけや訓育などがなされた。明治維新に至るまで庶 民の教育として実施された。 ・・・ 寺子屋は実に全国4万5千を数えるに至ったという。 ※寺子屋の教師は=僧侶・神官・書家・幕臣・藩士などが多かった。 〔28〕B、古くから書や書道の勉強をすることを “手習い” と称した。貝原益軒の『和俗童子訓』 にも “ 手を習ふに、筆のはたらきの神彩を先とし、字の形を次にす ” とあり、ここに いう手を習うは、手習いのことである。 〔29〕@、尺は手紙の義、牘は文字を書く木札のこと。 本来古文書学の用語だが、特に漢文で 書かれた手紙を尺牘という。かな文で書かれたものは消息という。 〔30〕A、説文解字は後漢の和帝・永元12年(100年)、経学者許慎が著した中国最古の字書。 文字の起源・変遷・造字法を体系的に六つ(象形・指事・形声・会意・転注・仮借)に分 類し解説している。 |
※書道資料クイズのなかには門下生に適応した出題傾向と解説部分があります。
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