米フツ(元章)

 ◇米フツ(元章)についての記述と法帖・拓本◇


<米フツ(元章)の規範を中心に学ぶ・・・書家/増田艸亭>

 米フツ<皇祐3年(1051年)〜大観元年(1107年)の、おおまかな年表は6歳の時 一日に律詩百首
 を読み1、2度でみな暗誦したという。7歳で顔真卿を習う(郡玉堂帖にみる)。18歳、黄裳撰・楷書「太
 平州蕪湖県新学記」を書す。 25歳、渓(湖南)で石に題す。34歳、晋人の書を習う。43歳、潤州々
 学校教授を任務する。 54歳、書画学博士となる。57歳で病没。米フツは宋の四大家の一人。先輩に
 あたる蘇東坡や高山谷が 顔真卿や懐素、楊擬式などの個性的な芸術家を尊んだのに対し、米フツは
 書の鑑識をよくし自らも収蔵した。特に晋唐の最も優れた名跡の鑑賞に努めた。そのために 模作、偽
 作をも 辞さなかったといわれ、その他常識を逸脱した話が 数多く伝えられるが そうした経験の中から
 鑑識眼が出てきて 書画の著録についても 方法論的に確立されていった。 「書史」や36歳時の「宝章
 待訪録」などは 書画の個性的特徴を示す注意深い記録で、無駄の無い科学的記述であり、革命的と
 なった。したがって米フツはきわめて専門的な知識の上に立って書を書いている。 その書風は個性的
 で古い名家の書に根底を持って書いている。 一点一画、晋唐の名跡に立脚し、全体として、高古自然
 といえる 気韻がある。 米フツの尺牘は様々に変化する。 それは王羲之をはじめとする晋人の様々な
 尺牘をかなり学んでいると思われます。そして、それを越えた自然な趣があって、米フツの書は芸術家
 そのものと言える所以でしょう。
 ・・・・・米フツの素晴らしい書跡に惹かれ、米フツがどのようにして大家を成したのか、米フツの学書してきた古典の足跡を辿り
     ながら系統的に学び、一歩でも近づきたいと願いつつ・・・・・<増田艸亭>


                      


                       
法帖−<米フツ ・ 多景樓帖>
    


        
                    拓本−<米フツ ・ 四條屏>
    


                         拓本−<米フツ ・ 墨跡>
 







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