石碑探訪 5
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書法研究・聿修會(いつしゅうかい)
☆ 旅先で見つけた石碑を撮影したものです。
〜色々な石碑を見て勉強になります。・・・・・(艸亭)
東京都板橋区板橋1丁目 JR 板橋駅西口 前に在る。
〜むすびのけやき記念碑。 (3本の欅がある)
中山道 板橋宿
<この地域に 小生は 幼児から中学1年始め頃まで、住んでいました>
(2006年8月24日撮影)
東京都港区南麻布1丁目 韓国文化院 前に在る。
〜韓国動乱参戦記念碑。
<碑文は漢字 ・ハングル文字で 参戦史が 刻まれています>
(2006年8月24日撮影)
埼玉県さいたま市緑区大字見沼地内
「見沼氷川公園」内に在る。
〜案山子の記念碑。
(2006年8月27日撮影)
見沼は、武笠 三 が作詞した唱歌
「案山子」のふるさとです。
(2006年8月27日撮影)
埼玉県さいたま市緑区大字大間木 「見沼通船堀」傍に在る。
〜見沼通船堀碑。
「見沼通船堀」 は水位の違う二つの川に堰を設け、水位を調節して
船を通します。我が国最古といわれる閘門式運河です。
(2006年8月27日撮影)
東京都板橋区加賀 板橋第五中学校前に在る。
〜板橋区史跡 <加賀前田家下屋敷跡>
(2006年9月20日撮影)
埼玉県北葛飾郡栗橋町 利根川近くに在る。
〜「栗橋關所址」の碑
栗橋關所址は、日光道中が 利根川を越す要地に 「利根川
通り定船場」から発展した関所の一つで「房川渡中田関所」
と呼ばれた。寛永年中に 関東代官頭の伊奈備前守が藩士
四人を置いた。
(2006年10月21日撮影)
埼玉県北葛飾郡栗橋町 八坂神社境内に在る。
〜「八坂神社 縁起」の碑
祭神・素盞鳴尊(すさのおのみこと)。江戸期、栗橋宿造成の後、 元和 9年
(1624)創立。「あばれ神輿」は有名で当神社の祭りである。境内には樹齢
300年以上の大欅2本があり、昭和61年4月に、「埼玉県ふるさとの森」 に
指定されている。 (2006年10月21日撮影)
埼玉県北葛飾郡栗橋町 静御前(しずかごぜん)の墓地内に在る。
〜静女塚碑(しずじょつかひ)
「静女の墳」の裏手に、この「静女塚碑」はあります。 これは、明治 20年に、
この地の村人が舞姫として、また人間として 後世に伝えたいと思い、撰文を
岡千仞氏に依頼し建立されたものです。この碑には源義経を慕い、この地で
逝った静女の逸話が記録されています。 (2006年10月21日撮影)
山梨県甲府市塩山小屋敷2280 乾徳山 恵林寺境内に在る。
※恵林寺は1330年夢窓国師によって開かれ、戦国武将・武田信玄が
菩提寺と定めた臨済宗妙心寺派の古刹である。 夢窓国師は伊勢の
生まれで、甲斐へ移り住み9歳で出家。当時の領主、二階堂道蘊に
請われ邸宅を禅院に改めたのが恵林寺の始まり、国師55歳の頃で
あった。
(2006年10月29日撮影)
「 大門碑林公園 」
山梨県西八代郡市川大門町4930
「中国一級国宝を当時のままに復元」
当時の ままに復元し立碑し た碑は、
いずれも中国第一級の国宝です。
碑の復元は、中国と日本の最も古く
よい拓本を基に書体、書学を研究して
原稿を作成し陜西省碑林博物館の
技術と協力を得て、創建当時の姿の
ままに復元したもの。
(2006年10月29日撮影)
大門碑林公園
大門碑林縁起
大門碑林公園内に在る
九成宮醴泉銘碑
( 大門碑林公園内に在る 石碑 )
大門碑林公園内に在る
王羲之 楽毅論
恵林寺境内に在る 「武田信玄公訓言」
(恵林寺境内に在る石碑)
(恵林寺境内に在る石碑)
( 大門碑林公園内に在る 石碑 )
※市川大門町には千年の歴史を誇る和紙と
徳川時代からの花火、素晴らしい自然に
囲まれた県立自然公園四連尾湖がある。
東京都新宿区西新宿2−11−2 熊野神社境内に在る。
〜十二社の碑(じゅうにそうのひ)
十二社の地、池や滝を擁した江戸西郊の景勝地であることを
記した記念碑で嘉永4年(1851)3月に建てられた。
=新宿区指定史跡=
日本書堂憲齋源大彭書(中川憲齋)
(2006年11月7日撮影)
東京都新宿区西新宿2−11−2 熊野神社境内に在る。
〜文政13寅年8月建立。 能勢嘉門
(2006年11月7日撮影)
東京都新宿区西新宿2−11−2 熊野神社境内に在る。
〜「御大典記念」の碑
(2006年11月7日撮影)
千葉県千葉市中央区宮崎町 (株)カネダ工作所 敷地内に在る。
〜(株)カネダ工作所 前社長の書。
(2006年11月7日撮影)
千葉県千葉市中央区宮崎町 宮崎神社境内に在る。
〜「宮崎神社社殿改築記念」の碑
(2006年11月7日撮影)
千葉県千葉市中央区宮崎町 宮崎神社「社殿」
(2006年11月7日撮影)
栃木県足利市西宮町3889 織姫神社境内に在る。
〜神社は、足利県立自然公園最南端に位置している。
記録によると明治12年8月24日機神山南麓にかけて
梅林を切り開いて遷宮したという。
(2007年6月27日撮影)
栃木県足利市昌平町2338 史跡/足利學校内に在る。
〜足利學校は、日本最古の学校(国指定史跡)
創建については奈良時代の国学者の遣制説、
平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説
などがありますが、歴史が明らかになるのは、
上杉憲實(室町時代)が現在国宝に指定されて
いる書籍を寄進し、庠主(学長)制度設けるなどして
学校を再建したころからです。
(2007年6月27日撮影)
足利學校/庭園
上杉憲實公顕彰碑
宮城県石巻市雄勝町雄勝字寺
〜「石巻市雄勝硯伝統産業会館」真向かいに在る。
(2007年6月30日撮影)
瑞巌寺
宮城県宮城郡松島町松島字町内91
〜「松島青龍山瑞巌円福禅寺」境内に在る。
伊達政宗公 ゆかりの寺(瑞巌寺)
《11日、瑞巌寺に詣。・・・・・・・雲居禅師の
徳化に依て、七堂甍改まりて金壁荘厳光
を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。》
(松尾芭蕉 「奥の細道」)
(2007年7月1日撮影)
多賀城碑( 壺の碑 ) / 覆屋
宮城県多賀城市市川 多賀城跡内に在る。
〜多賀城碑(壺の碑)高さ196センチ、最大幅
92センチのこの碑は西暦762年に建立され
日本三古碑のひとつ。(国重要文化財)
(2007年7月1日撮影)
多賀城碑(壺の碑)
多賀城跡内に在る句碑
多賀城 京を去ること一千五百里
蝦夷国の界を去ること一百二十里
常陸国の界を去ること四百十二里
下野国の界を去ること二百七十四里
西 靺鞨国の界を去ること三千里
此城は、神亀元年歳は甲子に次る。按察使・兼鎮守将軍・
従四位上・勲四等大野朝臣東人の置く所也。天平宝字六年
歳は壬寅に次る。参議・東海東山節度使・従四位上・仁部
省卿・兼按察使・鎮守将軍藤原恵美朝臣朝カリ、修造する也。
天平宝字六年十二月一日
itusyukai